はっきりした築城年代は不明ですが、文明年間(1469~87年)にこの地の国人・蜂塚安房守が築城し、4代にわたって居住しました。これに対して、近年の研究では発掘調査を基にして江美城の北600メートルにある「銀杏段丸」と呼ばれる山城が戦国時代の江美城で、今日知られる城は吉川氏時代の1591年(天正19年)頃の築城だとする説が出されています。
蜂塚氏は1524年(大永4年)の尼子氏の伯耆侵攻に伴って、尼子氏の支配下に入りました。江美城のある一帯は米子と美作国を結ぶ水陸交通上の要地であり、長く尼子氏と毛利氏による争奪戦の舞台となりました。蜂塚氏は尼子氏に属し、よくこの城を守りましたが1565年(永禄8年)に毛利方の将・杉原盛重の猛攻を受け、4代・蜂塚右衛門尉は一族とともに自刃し落城します。
以後、江美城は毛利氏の支配するところとなり、伯耆を与えられた吉川広家の下で近世城郭へと改造されたと見られています。その後は、1615年(慶長20年)に一国一城令が出されるまで城が存続していた可能性が高いと思われます。
平成9年の発掘調査で出土した瓦に金箔が貼られていたことから、山陰地方で初めて金箔装飾瓦が出土した城郭として知られるようになりました。
江美城八幡丸跡には城郭を模して建設された資料館「江府町歴史民俗資料館」もあり、町のシンボルともなっています。
江美城の金箔瓦は豊臣政権下の吉川広家統治時代と考えられています(諸説あり)が、金箔を使うことはかなり重要な城であったという意味を持ちます。
なぜ山陰地方の一支城である江美城に金箔瓦が使われたのか。
江美城には多くの謎が残されており、想像が膨らみます。
本丸跡
天守台跡
西ノ丸跡
八幡丸跡
江府町歴史民俗資料館については こちら
アクセス
・江尾駅から徒歩約10分
・江府ICから車で約5分